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日本一のDJ輩出実績を誇るDJスクール【Ⅲ FAITHS DJ SCHOOL】代表神山清豪独占インタビューVol.1

 2017/07/16 DJ講座 インタビュー
この記事は約 9 分で読めます。 2,168 Views

日本一のDJ輩出実績を誇り、これまでに1,000名以上のDJを輩出し、海外校を含め9都市でDJスクールを展開している

Ⅲ FAITHS DJ SCHOOL(スリーフェイシスDJスクール)代表の神山清豪さんにo2mediaがインタビューさせていただきました。

 

 

3faithsdjスクール東京

日本一のDJスクールがプロデュースしたⅢ FAITHSオンラインDJスクールはこちら→

https://goo.gl/Ex1tJ6

 

 

o2media以下o2)清豪さん、今日はインタビューよろしくお願いします!!

神山清豪以下K)よろしくお願いします。

 

第1章 上京 バンドマン時代、そしてDJとの出会い

 

o2)元々、DJをされていたんですか?

 

K)元々はバンドマンをしていて、ギタリストが音楽キャリアのスタートです。

僕の音楽に影響を与えたのは、兄貴が聞いていたX JAPANで、そこが僕の音楽のスタートで、兄貴が音楽の最初の師匠でした。

彼は小さいころからピアニストで、X JAPANのバラードをピアノで弾いてました。

そのあと、ギターでX JAPANの曲を弾いていて、興味を持ってギターを教えてもらったのが、僕の音楽のスタートです。

中学2年生のころでした。

 

 

o2)そこからギターを始めて、バンド漬けの学生時代を送っていたというわけですね?

 

K)そうですね!中学の文化祭のステージに立って、高校に入ってからさらにバンドに力を入れていきました。

小学生の時は野球もやっていて、全国大会まで進出したこともあったんですけど、中学生になっても成長期が来なくて、

なかなか野球で活躍することが難しくなってしまっていったんですよね。

小さいときはスター選手みたいな扱いだったのが、一気に転落していってしまって、それにストレスを感じ始めてたんだと思うんです。

それを救ってくれたのが、Xだったんですよね。

そこから音楽の力みたいなものを感じて、力を注いでいく日々になっていきました。

高校生のときも文化祭でバンドをやって、進路について悩んだ時も、音楽ができなかったら死んだ方がマシだ!って、親に伝えましたね。うん。

なぜなら、自分が絶望していた時に見つけたものだったので。





o2)ということはX JAPANは清豪さんにとって神なんですね。

 

K)そうですね。今でもXの曲は聞きますし、勇気をもらえますね。

 

 

o2)X JAPANの影響を受けて、ロックミュージックを中心に活動していたんですか?

 

K)そうです。それで、高校の最後のほうに洋楽を聴き始めて、

次にハマったのが、ガンズアンドローゼスでした。

その時、世の中では何が流行っていたかというと、ドラゴンアッシュでしたね。あとはハイスタンダード。

この世の中の流れを地元の鳥取でも感じながら、最初はロックをやっていたんですけど、

やっぱり時代の流れを掴むのは重要だと感じましたね。

どんなに好きなものがあっても、それをうまく時代に合わせていかないと、お客さんが付かないと思いますね。

それを高校生時代に学びました。

ドラゴンアッシュとか、ハイスタンダードをやってた方がお客さんは集まってましたからね。

それで、音楽が出来ないなら、死んだほうがマシだっ!!って言って、親に許してもらって、東京に出てくることになるんですけど、

 

1年間お金を貯めて19歳の時に、

音楽専門学校のESPミュージックアカデミーにギターで入学して、EXILEのATSUSHIさんとも同期で、ATSUSHIさんはボーカルコースでした。

 

 

o2)ええっ!!そうなんですね!

 

K)そうなんです。で、バンドを続けていくんですけど、

まぁやっぱり、アマチュアの人が一つのものを作り上げることの難しさを感じましたね。

バンドって、パワーバランスが難しいんですよね。

メンバーのモチベーションの差だったり、チーム力を上げることができなかったり、

そういうことを、27歳の時までずーーっと、突破できない壁のようなものを感じて、これはもう難しいな、と思って、

27歳、音楽をやめようと思ったんですよね。

 

で、働き始めます。

ふつうの仕事をしようと思って、カフェの店員を始めました。

今はなくなっちゃった代官山のAIRっていうクラブのお店の上の、「フレームス」っていうカフェで働いてたんですけど

 

なんでカフェの店員かというと、将来自分でカフェなり、バーのお店を出したかったんです。

 

そのときに働きながら思ったのが、自分がお店を出すなら、絶対にDJブースを置くっ!って思ったんです。

そうすれば、集客が安定すると思うんですよね。

 

DJをする人を入れてパーティをやるだけで、新規のお客さんも増えるし、パーティをすることで売り上げも上がると思ったんです。

一般の営業やビラ配りなんかよりもね。

ていうのを感じてて、DJブースを置きたいなぁって思ってて。

 

それでDJの友達がちょうどタイミングよく、

「音楽辞めたのはいいんだけど、あれだけ音楽好きだったし、クラブも行ってたんだから、DJをやってみたら??」

って言われたんです。

それが運命の出会いでしたね。




でもその時は、音楽を真剣にやるのはちょっと・・・嫌だなって思ってました。

最初はうーんって言ってたんですけど、DJブースを置くんだったら使い方だけでも教わっておいたほうがいいなって思って、

じゃあちょっと家行っていい?って言って。

 

その友達の家で機材をこうやって触って、こういうふうにやって、

って言われて

 

DJ機材を触った瞬間・・・。

バッコーンってアタマに衝撃が走りましたね。

うわっ!!これならオレ世界にいけるっ!!ってその時、本気で思いましたね。

 

なぜなら、人の曲を自分の世界観のように演出して、自分のもののように使っていいというアドバンテージ、

そして、なにより一人で出来る!!というところが自分に向いてるなって思いましたね。

 

いままではチームでやっていたので、メンバーのモチベーションが低かったりして、とか悩まされてたものが、これなら一人で世界と戦えるって思いましたね。

 

その衝撃を受けた1週間後には、13万円くらいする機材を買ってDJをスタートしました。

寝る間も惜しんで(笑)

そのとき自分の中で、何かが壊れたんです(笑)

 

 

o2)

 

K)そういうものなのかもしれないですよね。

人って、否定していたものがいきなり、肯定に変わった瞬間、何かが崩れるような感じで、燃え盛るように何かが変わるんですよね。

DJなんて、って思ってた自分が、触った瞬間にのめり込むことになりましたよね(笑)

 

 

o2)そこが人生の転機になったわけですね。

 

K)そうですね。これがDJをスタートした経緯です。

ここで一番重要なことは、時代が求めていたものを肌で感じた、ってことなんです。

バンドで誰もいない会場で歌って、2万円とかの出演費を会場に払って、

で、お客さんを集めるのは会場じゃなくて、自分たち。

毎週のようにバンドの練習をするわけですけど、それのお金もかかるわけですし・・。

それで、バンドを辞めたあと僕はカフェの店員という仕事に就いて、人が流れていくことを考えないといけなくなったんですね。

自分がどうやってお店を回していくのか、ということを考えた時に、

DJは時代に合っているって思いましたね。完全に。

 

これが僕が27歳のとき。

人生の転機ですね。

 

時代を追いかけないこと、時代の流れに逆らって生きることがいかに危険なことか、

この辛さをずーっと経験してきたんです。

 

だから今重要だと思っていることは、

固執しないこと、時代に対して柔軟に対応していくことを意識していますね。

時代の流れに沿って生きることの大切さを感じています。

 

 

o2)DJとして音楽活動を再スタートした神山清豪、そこからDJスクールを経営しようと思ったきっかけは何だったんですか?

 

K)当時、カフェで働きながらDJをしていたんですが、

DJスクールを始めようと思う前に、DJとして突き抜けたい!って思うようになってましたね。純粋に。

それで自分が主催するパーティをしようと思いました。なぜなら、27歳という遅い年齢でのDJスタートだったので。

 

それで、世の中のDJをごぼう抜きするためには自分が主役のパーティをしないかぎり無理だと思ったんですよね。

人の下でお膳立てしてたら、それだと時間が足りないと思ったんです。

だから僕は人がしてないことをしようと思って。

 

今ではメジャーなことですけど、

レストランとかの空いてる時間を使って、自分がプロデュースしてパーティーを打って。

新しいモノに惹かれる人達がいるので、そこに向けて宣伝して生計を立てていくようになりました。

そこから、パーティをやっていくんですけど、

 

どうやったら、有名になれるか??

っていうことを考えるようになって、純粋に海外に行ってみようって思いましたね。

日本国内で頑張っていても、日本のDJたちを抜くことはなかなかできないだろうなって思ったんです。

それで考えたのが、海外でDJをやれるようになったら、なにか変わるんじゃないか??

そう思いました。

それが30歳のときです。

 

 

3faithsdjスクール東京

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Vol.2はこちら

日本一のDJ輩出実績を誇るDJスクール【Ⅲ FAITHS DJ SCHOOL代表神山清豪独占インタビューVol.2

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